材木屋ハ兵衛は創業以来、木材の伐出事業とともに主として木曽ヒノキによる神社仏閣用の挽き材、ならびに鉄道用枕木の製造販売を行ってきた。8代ハ兵衛は大正10(1921)年1月、北洋材による製函業に力を入れるため材ハ製作合資会社を設立した。
大正14(1925)10月、材ハ製作合資会社を改編し、材ハ合資会社を設立した。8代ハ兵衛の死去に伴い、翌15(1926)年7月、鈴木鈴四郎が9代ハ兵衛を襲名し、同社の社長に就任した。
当時の名古屋の製函業は、質量ともに全国一の実績を持った。ことに茶箱に代表される輸出製品は全国輸出量の過半数を占めていた。これは築港・貯木場などの整備が整い、他に比べて諸経費が安かったこと、また、当地の気候が乾燥を条件とする製函業に適していたことなどによった。