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ZAISO HISTORY 06

王子稲荷祭事の由来

[現在の社祭風景]
王子稲荷に代参する現代の“森の石松”

 材惣に鎮座まします商売繁盛の神様は、王子稲荷の分社である。ことの起こりは天保9(1838)年。紀州藩に収めた材木代金がなかなか払ってもらえないので、5代惣兵衛が自ら江戸まで集金にでかけ、王子宿のはたごに泊まっていた。たぶん中山道を旅したのであろう。そこから紀州屋敷までは歩いて40分ぐらい。旅籠の近くの王子稲荷に「今日こそは返済してもらえますように」と願をかけ、借金の催促に日参したのである。その甲斐あって集金は成功した。王子稲荷の石段わきに「尾州材木屋惣兵衛」と彫った石造灯籠(天保10(1839)年献灯)が今も残っている。

[王子稲荷と石造灯籠]

 そんなわけで、古渡の本社工場内に赤い鳥居の王子稲荷が祭られていた。ご神体は木彫りのキツネ、2体が向き合っている。毎年2月の午の日には、のぼりをあげ、提灯をともし神楽を奉納して社祭として神事を行った。全社員が福引などに興じて大変なにぎわいだった。昭和52(1977)年、工場移転に伴って西部木材港の木工工場横に、平成16(2004)年には西部総合事務所玄関横に移築された。今も毎年2月に社祭を催している。
 毎年1回、交代で会社を代表して東京の王子稲荷に代参するのも伝統のしきたりだ。昔から讃岐の金毘羅さん、備前・岡山の由加神社を「両参り」すると、よりご利益がいただけると、ここにも代参人を派遣している。新幹線の旅では「寿司食いねぇ酒飲みねぇ」とはいくまいが、2日間の休暇と旅費をもらえるので、順番を心待ちにしている“材惣の石松”も少なくない。