寛政9(1797)年、惣九郎はわずか14歳で5代惣兵衛を襲名した。先代惣兵衛の第一子で、生来胆略にして機敏な人物と伝えられている。
惣兵衛は東別院(真宗大谷派名古屋別院)の再建の情報をいち早く知り、菩提寺(曹洞宗)の許しを得て京都に上った。東本願寺に浄土真宗への一代限りの改宗の意志を伝え、多額の寄進をして帰依の誠を尽くしたという。
こうして東本願寺の厚い信頼を得て、東別院本堂再建用材の一切を請け負うこととなった。ただちに、西古渡村西の徳川家用地(旧本社所在地・名古屋市中川区山王)を借り受け、貯木池をつくりそこに木材を運搬した。用材の確保に当たっては、ヒノキは木曽山、ケヤキは羽州国(現、山形・秋田県)などから出材を計画。惣兵衛自ら現地に赴き指揮をとったと伝えられる。
東別院の再建工事は、宮大工は伊藤平左衛門父子が棟梁・脇棟梁をつとめた。文化2(1805)年10月に